テーマ展示「70年前に戦争があった」 開催中
最終更新日:2019年1月25日
今から70年前の昭和20年(1945)に、日中・太平洋戦争が終戦を迎えました。本展示会では、市内の戦争被害や戦時下の暮らし、戦地へ行った方の姿などを、市内に残された資料により展示します。
- 会期・会場
- 2015年8月8日(土曜日)~2016年8月上旬
難波田城資料館 穀蔵展示室
- 見学料
- 無料
戦前の男性は、満20歳になると「壮丁台帳」(写真右)に搭載されました。そして戦争などの際に「召集令状」(写真左。通称「赤紙」)が渡されると、数日以内に身の回りを整理して、指定の場所に行かねばなりませんでした。
家族や村人は、出征者を「万歳」で見送りつつ、無事の帰還を願って千人針やお守りなどを渡しました。
しかし、遺族会がまとめた資料によると、290名の富士見市域出身者が、アジア・太平洋の各地で命を落としました。
昭和20年(1945)4月2日未明、市内各所に爆弾が落とされました。爆発した爆弾からはギザギザの破片(写真右)が激しい勢いで飛んできました。
この空襲により、関沢地区で6名の方が命を落としました。鶴瀬小学校の学校日誌(写真左下)にも、その被害の様子が記録されています。
戦争から20年以上経過し、戦争を知らない世代が増えたころから、全国で、戦争を体験した方々が記録を書き残すようになります。
富士見市でも、これまでに10冊を超える記録文集がまとめられ、また、近年は体験談の映像記録も行われています。
記録文集は難波田城資料館や市立中央図書館、記録映像(DVD)は市立中央図書館で閲覧することができます。