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令和5年春季企画展「なき人を送る-墓と弔いの歴史-」

最終更新日:2023年5月16日

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展示室風景

人類は古来、故人を偲び、さまざまな方法で弔ってきました。現代でも葬送儀礼は多種多様なかたちで行われていますが、そのかたちは葬送の出現から、大きく変化を遂げてきています。今回の企画展では、主に中世から現代の、富士見市域の葬送儀礼や墓の変遷を紹介しています。

開催概要

日時・会場

会期:令和5年3月11日(土曜日)から6月11日(日曜日)
会場:難波田城資料館 特別展示室(入場無料)

主な展示資料

・火葬骨を納めた蔵骨器
・墓標としての板碑
・中世の墓坑から出土した副葬品
・江戸時代の葬送・墓制に関する触書
・近世の墓坑から出土した副葬品
・墓石を造った石工の道具
・明治時代の葬送・墓制の布告
・葬列の道具
・現代の墓地各種(写真)

観覧料

無料

企画展関連事業

講演会
『都市近郊における葬送墓制の変遷』
日時:令和5年3月25日(土曜日) 午後1時30分から3時
講師:山田慎也氏(国立歴史民俗博物館副館長・教授)
申込:受付中。午前9時から午後5時の間に電話または窓口で

展示概観

奈良時代から平安時代にかけて、日本では上層階級の間で、火葬が流行しました。右は市内水子で見つかった9世紀ごろの蔵骨器です。
中世になると墓標が発達します。左の資料は墓標として利用された板碑です。

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蔵骨器と板碑

中世には共同墓地が登場します。火葬の際に使用したであろう炭化材や、副葬品としての土器・銭貨を展示しています。

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炭化材、銭貨、土器

江戸時代になると、葬送墓制に大きな変化が現れます。
信教の制限や、葬儀・墓石に関する規制がおこなわれました。

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寺請制度

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葬送・墓制の規制

近世は副葬品が多種化し、豪華になります。葬送が華美化していたことがわかります。

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近世墓の副葬品

近代の石工に関する資料です。
石材加工の道具や、墓石の受注に関する資料を展示しています。

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石材加工の道具と墓石受注に関する資料

明治時代初期の葬送墓制に関する布告です。

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明治時代の葬送墓制に関する布告

富士見市内で使用された葬列の道具です。霊柩車が普及するまでは、葬列を組んで、寺院や墓地までご遺体を運んでいました。

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葬列の道具

高度経済成長期後、富士見市域の葬送墓制に大きな変化が現れます。土葬から火葬に移行し、市内下南畑には、しののめの里(火葬場兼斎場)が建設されました。

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しののめの里パンフレット

墓地も、大規模霊園がつくられ、寺院境内墓地も墓域が拡張されています。
現在、葬儀の小規模化や、納骨堂・洋風の墓石の定着など、葬儀や墓の在り方も変化してきており、葬送・墓制の転換点にあります。

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墓石各種、寺院境内墓地、霊園

展示図録

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展示図録

『なき人を送る-墓と弔いの歴史-』A4判、24ページカラー。
好評につき、売り切れました。ご希望があればコピーします(白 120円、カラー240円)。

お問い合わせ

難波田城資料館

〒354-0004 埼玉県富士見市大字下南畑568番地1

電話番号:049-253-4664

FAX:049-253-4665

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