No,12・・・関沢の水車
最終更新日:2019年1月25日
市内には、江戸時代後半頃から昭和初期にかけて、富士見江川・権平川・砂川堀に沿って水力を利用して米や麦などを精穀・製粉する「くるまや」と呼ばれる水車屋がありました。水車に関する記録で古いものでは、天明4年(1784年)に水子村に置かれていた水車が鶴馬村の関沢に移るという古文書が残されています。
湧水の恵み
関沢には、かつて丸池をはじめ崖下にはいくつもの湧水地があり、その豊富な水量は農業用水や生活用水に利用されていました。富士見江川に沿っては、「上の水車」・「中の水車」・「下の水車」と言われた3か所の水車がありました。
富士見江川から引き込んだ鶴田用水からさらに分水した水車堀といわれる専用の水路に水車小屋が設置されました。中の水車では、つき臼が15あり、主に大麦をついたり、小麦を粉に挽いたと言われています。水車の直径は1丈7尺(約5mメートル)ほどのもので、その回転が大きな歯車から小さな歯車へと伝えられ、杵や臼を動かす動力となっていました。
また、上の水車は三芳町上富方面、中の水車は鶴馬村と水谷村、下の水車は鶴馬村と南畑村からの利用者が多かったようです。
昭和35年の鶴田用水(現こばと保育園付近)星野広興氏蔵
「下の水車」の歯車
江戸時代から続いていた水車業も、昭和に入ると水量の減少や電気の普及により衰退し、最後まで残っていた中の水車も昭和20年4月の空襲によって破壊されたため廃業してしまいました。
現在の鶴田用水(下の水車付近)
鶴馬・関沢の水車跡
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