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No,18・・・富士見に残る『日本最古』

最終更新日:2019年1月25日

市内には数多くの文化財が残されていますが、その中でも現在のところ日本最古と考えられているものを紹介します。

月待板碑(つきまちいたぴ)

月待板碑

月待とは、特定の月齢の夜に講中という同じ信仰の仲間が集まり、遅くまで飲食を共にしながら延命長寿無事息災を願う行事です。十五夜、十六夜、十九夜、二十三夜などさまざまな月齢で月の出を待って行事が行われ、この供養の記念に建てられたものが月待板碑や月待塔と呼ばれるものです。月待板碑は市内でも幾つか確認されていますが、その中に「奉待月供養嘉吉元年」の文字と6人の名前が刻まれたものがあります。この板碑は上部・下部を欠損していますが、月待信仰を表す文字と嘉吉元年(1441年)の建てられた年を知ることができます。これは現在のところ、月待信仰を表す板碑としては日本最古のもので、鶴瀬東1丁目付近の権平川沿いで発見されました。昭和52年に市指定文化財に認定され、現在は難波田城資料館に展示されています。


子待塔(ねまちとう)

子待塔

水子貝塚の道路を挟んだ北側に、「甲子大黒天」と刻まれた板石型の石碑が目につきます。この石碑は明治29年(1896年)に建てられた新しいものです。しかし、その脇に建つ燈籠型の石造物の竿と呼ばれる部位には、「日本最初、甲子大黒天」の文字が刻まれています。これら石造物は子待塔といい、大黒天(大国主神)を礼拝本尊として豊作や金銭に不自由しないなどのご利益を願って、大黒の使いであるネズミにちなんで干支の甲子または子の日に個人または講中で夜遅くまで起きて精進供養(祭祀)する子待の供養に建てられたものです。この燈籠には、ほかに「天和元辛酉年(1681年) 正月甲子日 河内国古市郡 大黒村 大黒寺」と刻まれています。河内国古市郡は現在の大阪府羽曳野市古市町にあたり、大黒寺は現存し、日本最古といわれる大黒天を本尊としています。おそらくは当寺を参詣した願主が、これを記念し建てたものと思われます。『日本石仏事典』(雄山閣)によると、「石祠などではさらに古いものも見当たると思われるが、明らかな子待供養の石造物としては、この燈籠を一応初出の石造物としておく」と記されています。

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