難波田城公園で教育番組をロケ。4月11日から放映
最終更新日:2024年1月31日
平成29年2月28日に、難波田城公園でテレビのロケ撮影がありました。
その様子と放映予定をお知らせします
- 放映日時
平成29年4月11日(火曜日)より毎週火曜日 午後2時~2時10分 NHK Eテレ「高校講座 ベーシック国語(外部サイト)」
- 撮影内容
国語の基礎を幅広く学ぶ番組です。
番組のオープニング画面を撮影しました。
つまり、難波田城公園でロケした場面を毎週見ることができる予定です。
番組の出演者(外部サイト)のうち金田一秀穂(きんだいち ひでほ)さんと滝沢カレンさんがロケに参加しました。
のれんをくぐって2人が出てくるシーン。文庫蔵での撮影を特別に許可しました。
旧大澤家住宅の奥座敷を、金田一先生の書斎に見立てたシーン。
撮影に使った文机は、市民から寄贈された資料で、普段は旧金子家住宅に展示しています。
富士見市の寺子屋
江戸時代から明治時代初期の庶民の子どもは、寺子屋で文字の読み書きなどを学びました(義務教育ではありません)。呼び名のとおり、寺院で僧侶が教えることがほとんどでした。
富士見市内では、「筆子塚」などに基づき、17か所以上に寺子屋があったことが知られています。筆子塚(ふでこづか)とは、寺子屋の弟子たちが師匠のために立てた供養塔です。明治5年に義務教育の制度ができた直後も、引き続き寺院が学校となりました。明治7年の時点で市内の寺院では、護国寺(勝瀬村)、来迎寺(鶴馬村・針ヶ谷村)、興禅寺(下南畑村・南畑新田)、金蔵院(上南畑村)、大応寺(水子村)が小学校を兼ねていました(大久保村の児童は渋井〈川越市〉の蓮光寺に通いました)。
園内の城跡ゾーン曲輪1にある「難波田直治郎墓」も筆子塚で、台座の「門人中」(右から読む)とは、弟子一同という意味です。直治郎(1819-1879)は、江戸時代に難波田城跡にあった十玉院(修験道の寺院)の院主・上田氏の出身で、一橋家に出仕したときに、出身地から難波田を名乗りました(上田氏の先祖が難波田氏と縁があったともいいます)。兄が早世した後、甥の後見人として十玉院に戻り、郷里の子弟を教えました。明治維新のころ、甥の上田岱弁(たいべん)が成人すると、隠居しました。岱弁(1847-1891)もまた、寺子屋の師匠をつとめ、のちには鶴馬小学校の教員、さらに県会議員をつとめました。
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