難波田城公園で歴史番組をロケ。7月25日に放映
最終更新日:2019年1月25日
平成23年6月28日に、難波田城公園でテレビのロケ撮影がありました。
その様子と放映予定をお知らせします
- 放映日時
2011年7月25日(月曜日) 午後7時~7時55分 TBS系歴史バラエティー「今夜はヒストリー」
- 撮影内容
歴史上の大事件が起こったときにテレビがあったらどう伝えられたか? という番組です。
前回のロケ(6月6日放映分)では、難波田城公園を鎌倉や京都に見立てましたが、今回は平泉に見立てました。鎌倉時代初期の3大都市を制覇?しました。テーマは源義経(みなもとのよしつね)の最期です。
源義経と奥州藤原氏、そして難波田氏
源義経は、平清盛一族を壇ノ浦の合戦で滅ぼしたあと、兄の頼朝(よりとも)と仲が悪くなります。そして、平泉を拠点とする奥州藤原氏の元に逃れます。藤原氏3代目の秀衡(ひでひら)は義経を保護しますが、秀衡が世を去ったあと、4代泰衡(やすひら)は、頼朝の圧力に屈して、義経一行を攻め滅ぼしてしまいます。この戦いで武蔵坊弁慶が「立ち往生」したという伝説があります。また、義経とともに自刃した正妻の郷御前は、川越市を本拠とする河越氏の娘でした。戦(いくさ)の天才義経を失った藤原氏は、そのわずか4ヵ月後に、頼朝が率いる軍に滅ぼされてしまいます。
さて、前回のロケの紹介で、難波田氏の始祖である金子小太郎高範(かねここたろうたかのり)は、承久の乱(1221年)で討ち死にしたことを紹介しました。この金子高範が、はじめて歴史に登場するのが、頼朝が藤原氏を攻めた「奥州合戦」なのです(1189年)。まだ若武者だったはずの高範は、この合戦が初陣かもしれません。平泉から京都まで、金子高範の戦いの生涯をたどるような、2つのロケでした。
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