東日本大震災・富士見市応援プログラム「東松島市里浜貝塚と水子貝塚の文化交流展」
最終更新日:2024年5月17日
展示の主旨
富士見市では、平成23年(2011)年3月11日に発生した東日本大震災後から 宮城県東松島市(外部サイト)へのさまざまなかたちでの被災地支援をとおし、 行政・市民同士での友好を深めてきています。現在も被災地の一日も早い支援を継続しています。 そこで、資料館では、市民に東松島市のまちの歴史や土地の記憶、地域らしさを紡ぐため、豊富な歴史・文化遺産・景観の紹介を通して、東松島市をより身近に知ってもらう機会を提供するための事業を行います。
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その一つとして、水子貝塚資料館では、水子貝塚と同じ国史跡に指定されている東松島市宮戸(みやと)所在の 「里浜貝塚」(外部サイト)を紹介する展示を企画しました。東日本大震災の際、沿岸の浜には津波が押し寄せ甚大な被害がありましたが、縄文人が居住域とした場所では被害が少なく、先人の知恵を改めて知ることができたといいます。 展示は、里浜貝塚のこれまでの調査で出土した縄文土器、石器、釣針や銛(もり)やヤス等の骨角器、貝や魚骨・土偶等の資料をとおして東松島市の歴史・文化に直接触れる機会とします。あわせて里浜貝塚の立地する宮戸地区の震災時の状況と現在を写真と映像で紹介します。 展示資料は、 東松島市奥松島縄文村歴史資料館(外部サイト)所蔵資料を借用して展示します。なお、今回の展示は、富士見市が実施する「東日本大震災・富士見市応援プログラム」の一事業として実施するものです。
東松島市について
東松島市は、宮城県桃生郡矢本町と鳴瀬町が平成17年4月1日に合併。面積は富士見市の約5倍。人口4万人余。市の南には特別名勝「松島」の一角を占める奥松島が広がり、日本三大渓の一つ「嵯峨渓」、大高森など、風光明媚な景観を楽しむ多くの観光客が訪れています。また、市内には航空自衛隊松島基地が所在し、アクロバット飛行で有名な「ブルーインパルス」のベース基地があります。
東日本大震災では、1000人を超える尊い人命が失われ、浸水域は市街地の65%に達する大災害となりました。1日も早く市民が安心して生活できるよう、復興に向けたまちづくりの推進に全力で取り組んでいます。
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東松島市の位置
里浜貝塚とは
里浜貝塚の位置
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史跡里浜貝塚と特別名勝松島 写真中央の人家周辺に里浜貝塚の各地点が散在しています。
(写真提供:奥松島縄文村歴史資料館)
松島湾には大小260余の島々があり、水深4m程と浅く、貝塚群が約70ヶ所集中します。その中で最大の島、「宮戸島」(みやとじま、東西4.5Km・南北4.3Kmの規模)北側に存在する里浜貝塚は、東西約640m、南北200mの日本一の面積をほこる貝塚です。発掘は大正時代から続けられ、わが国最初の層位学的発掘が行われ、土器型式編年研究の基礎を作りました。縄文時代の人骨50体以上や、漁具・装身具などの多彩な遺物が出土するなど,資料的価値の高い貝塚でも知られています。集落は約6000年前の縄文時代前期に始まり弥生時代まで約4000年間続きました。
貝層は、場所によっては厚さが6mにも及びます。 土器や石器のほか、一般の遺跡では残りにくい骨角器が大量に出土しています。また、魚骨や獣骨などの豊富な動物遺存体群にもめぐまれ,縄文人の季節に応じた生業活動も明らかにされています。
植物質食料では、トチ、クリ、クルミ、ドングリの種子や殻の炭化物が出土しました。浜辺での製塩と貝剥き作業場の発見なども確認されています。
縄文時代の海辺の暮らしをもの語る貝塚として平成7(1995)年には国史跡、平成12年には西畑地点出土遺物(土器・骨角器など)690点が国の重要文化財に指定されています。かつて里浜の地に住んでいた縄文人は、波の穏やかな内湾に面したやや高台にムラを営み、四季の海と山の恵みを受け暮らしていました。
5年前の東日本大震災では、宮戸島は大きな被害を受けましたが、里浜は比較的被害が大きくなくてすみました。
本展示会では、4000年にわたって、幾多の自然災害にもめげず生き抜いた里浜の海辺のムラのなりわいや貝層のはぎ取り断面を展示します。
松島湾の縄文人の自然との共生のあり方を、この機会にぜひご覧ください。
展示の内容
開催期間
平成28年10月29日(土曜日)~12月11日(日曜日)までの44日間 午前9時 ~午後5時
(注記) ただし、月曜日および11月4日(金曜日)、24日(木曜日)は休館 《入館無料》
展示会場
水子貝塚資料館 常設展示室
展示構成
コーナー1 3.11と東松島市宮戸・里浜
コーナー2 縄文時代の貝塚分布と仙台湾周辺の貝塚
コーナー3 4000年続いた里浜ムラ
コーナー4 縄文グルメ
コーナー5 宮戸・里浜の復興状況
主な展示資料
奥松島縄文村歴史資料館所蔵資料
石器・土器・骨角器(釣針、銛)・貝層剥ぎとり断面・魚骨・震災時および現況写真 他
里浜貝塚の貝層剥ぎとり断面
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里浜貝塚で確認された貝層を樹脂で固めて剥ぎとったもので、一部をできるだけそのまま、より臨場感のある展示物として今回大小2枚露出展示します。さまざまな貝殻や土器、魚骨をリアルに見学できます。貝殻には毎日の成長線が木の年輪のように入っており、これを観察すれば、一年のいつごろにその貝が採取されたかがわかります。縄文人の食性をとくと見学してください。
里浜貝塚と津波の痕跡
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震災で宮戸地区は壊滅的な被害を受けましたが、里浜貝塚は津波による被害が少なかったものの、西暦869年の貞観津波(じょうがんつなみ)以前の縄文時代には少なくとも3回は津波に襲われた可能性がボーリング調査でわかってきました。過去何回か大津波がきていますが、被害を記憶に留め、くり返し津波の話を言い伝えていく必要を語ってくれています。
里浜貝塚出土の土偶(縄文後期末から晩期初頭)
(画像:4,386KB) 写真の土偶は腹部が突出し妊娠した状態を示しています。全面に赤色顔料が塗布されています。(高さ9センチメートル)
【画像をクリックすると、土偶背面の三叉文(さんさもん)を見られます。】
里浜貝塚出土の髪針・針
貝輪=腕飾り
アカガイ製とみられる貝で腕飾りを作る途中の過程がわかる貴重な資料です。
腰飾り(レプリカ)
鹿角の叉部を用いて繊細な彫刻をした装身具(幅14.9センチメートル)。実物は重要文化財。
かえし付刺突具
ヤスとも呼ばれ、魚類を捕獲する漁具。
銛頭(もりがしら)
柄の先を器体につくられたソケットに装着するもの。器体中央部に引網を止めるための孔があけられ尾部が二分する。
その他の骨角器
左上は釣針、右上はヘラ、右下は装飾品
関連事業
(1) 講演会
11月27日(日曜日) 午後2時~3時30分
会場:水子貝塚資料館 体験学習室
演題:「里浜貝塚の縄文文化と震災復興」
講師:岡村道雄氏(東松島市奥松島縄文村歴史資料館名誉館長)
(元文化庁記念物課主任文化財調査官)
定員時30分人(無料、申込み順)
(2) 学芸員による展示解説
11月 3日(木曜日) 午前11時からと午後2時からの2回
11月23日(水曜日) 〃
(3) 映画上映会 【会場:資料館体験学習室】
・「宮戸復興の記録 2011-2013」 (58分) 《第7回松川賞》受賞作
~宮戸島の3.11からの復興を追ったドキュメンタリー作品~
上映日:11月3日と11月23日の午前10時からと午後1時からの2回
(注記) なお、「縄文人からの贈り物」 ~奥松島宮戸島 津波の記憶~(10分20秒)は会期中、展示室で常時上映。
11月27日 岡村道雄氏の記念講演会のようす
記念講演会「里浜貝塚の縄文文化と震災復興」
映画「宮戸復興の記録」上映のようす
学芸員による展示解説のようす
展示協力
奥松島縄文村歴史資料館(外部サイト)
(宮城県東松島市宮戸字里81-18 電話0225-88-3927)
お問合せ
水子貝塚資料館
ムサビー
郵便番号:354-0011 埼玉県富士見市大字水子2003-1
電話:049-251-9686
ファックス:049-255-5596